猫なんて飼うもんか!

猫アレルギー

SHIN50MARTINBAND2

どーもどーも。

 

SHIN50 MARTIN BAND2を作ってもう2年半経つんですね。

 

歌詞載せて解説してみんなに聴いてもらいたいなと思ってたんだけど

ダラダラしてる内につい2年半も経っちゃいました。

 

プリプロを始めたのが2018年11月。

その時はもうイベントやライブへ気持ちが乗らなくなってた時期で

縋る思いでレコーディングしよう!と決意した気がする。

 

これが完成した時もなんとなく「最後のレコーディングになるのかなー」と思ってた。

 

でもまた作品を作りたいなーと思い始めて曲を書いてます。

人生なにがあるか分からない。

 

特別な気持ちとかは無いけど、なんとなくまた作品を作ろうという気持ちになりました。

 

ホントに人生何があるか分からない。

「いつか」なんてないんだなーと思い知らされるような2年半だったなー。

タイミングを逃してばかりの人生です。

 

せめてずっと好きでいた音楽だけには嘘をつかずタイミングを逃さずに向き合いたいなと思ってるところです。

 

今は日記を書くように曲を書いてます。

 

自分の中の記憶。

日々の中で感じたことや情景をキャプチャーしたもの。

 

そんな至極私的なものだから売れたいとか多くの人間に聴かれたいとかそんな大それたこと思ってません。

 

ただ少しでも共感してくれる人が居て、その共感の輪が少しずつ広がって

コストの低い配信とサブスクでガンガン聞かれて利益が出て

全国のラジオでパワープレイされてYouTubeでバズってMステに出演して金持ちになって

六本木ヒルズのシャレた店であんまり焼かない良い肉食べて良い女はべらせる。

 

そんなささやかな気持ちで曲を書いてます。

 

多分タイトルはSHIN50 MARTIN BAND3になるでしょう。

 

 

 

前置きと肉欲が長くなったけど

SHIN50 MARTIN BAND2は釧路のスタジオキャッツと島村楽器のBスタジオで録りました。

レコーディングエンジニアは釧路にあるNSN Studioの西村氏。

 

場所は普通の練習スタジオ。

機材も最低限。

そして仕事の傍らで活動しているエンジニアにRecしてもらったこの作品。

 

それでも聞いてもらって分かる通り良きクオリティで録れたし

なにより地場感が心地良かった。

 

制作に携わってくれた人はほとんどが道東の人間で

みんなでワーキングクラスヒーローになれたら最高だなーなんて思ってたなー。

 

 

ジャケット写真は横浜に住む友達で、もう10年来の付き合い。

SNSに載せてた写真が素敵でその時にもう「ジャケットに使わせてくれ」ってお願いした記憶がある。

 

 

SHIN50 MARTIN BAND1は元々俺がソロで作ったアルバムの中でバンドアレンジされてて

その曲を再録した形の作品で、新しいアイデアやオカズはあまり入れずにシンプルに録ったもの。

 

言わば2が初めてみんなでアイデアを練って色々と詰め込んだ作品ということになる。

 

細かく入れたアレやコレを知って聴くとまた違った面白さがあると思うから

覚えてる限り書いていきます。

 

もちろん歌詞も。

 

サトガエリ

 

 

お久しぶりです。

 

前回の更新から半年経ちました。

 

前回の記事はコチラ

https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2021/01/28/203954

 

かずまについての最初の記事はコチラhttps://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/03/26/163129

 

 

 

 


ここ数日の猛暑はすごいもので、この間までの冷夏のような気温が嘘みたいな真夏日模様。

 


久しぶりに帯広でライブをやらせてもらえるってことで行って来た。

いつぶりか忘れるくらいに久しぶりの帯広でのライブ。

 


帯広のライブはいつも夏がセットでついてくる。

 


初めてのライブは2006年の8月だった。

 


帯広RESTで今はなきTeen's Music Festivalというコンテストに出演するために盟友ブキッチョーズとJRに乗って行ったのが最初だった。

 


帯広の中心街・広小路は祭りの真っ只中でRESTのドアを開けて地下に降りるとそこには同年代の高校生バンドマンが溢れるほど居た記憶がある。

 


結果は奮わなかったけど、帰り道にTAKA-PがJRに乗り遅れて釧路で野宿するハメになったり

釧路駅でお祭り帰りのえりかという女の子をナンパして一緒に芦野まで歩いたり

寒くて死にかけたり次の日のJRから見える景色がすごく良かったり

さんざん遊び倒してもまだまだ夏が待っていることがとても嬉しかったりした。

KREVAのイッサイガッサイの1バース目はあの日の俺らのことなのかもしれない。

 


そんなもんだから帯広のライブの記憶にはいつも夏の匂いが染み付いている。

 

 

 

 


2016年9月10日(土)

この日は坂東と彰太と俺のライブツアーの帯広編だった。

そこにはかずまも居た。

 


ライブツアーと言ってもそれぞれの地元である釧路→根室→帯広の3箇所だけで

演者みんなで一緒に車移動なんてこともなく期間も空き空きでただのライブだったように思うけど

それでも良き思い出だった。

 

 

 

 


ハイワットホールを始めた2014年に俺とかずまと海くんの3人で話し合って

全員がライブハウスを生業とせずにそれぞれ勤め人として働こうという結論を出した。

 


理由はシンプルに収支のメドが立たないってこと。

7年前はすでに潰れるライブハウスが多かった時代だし田舎街じゃどうにもならない気がしていたから。

 


おかげで時間も体力も有限だったし音楽にどっぷりとハマる生活は出来なかったけど

今のコロナ禍を考えるとナイスな判断だったと思う。

そのお陰でハイワットホールは今も潰れずにやれてる。

かずまの病気が発覚した時もそう思った(給与補償や福利厚生がしっかりした職場だった)

 


そんなライフスタイルを選択した俺たちだからバンドマンの楽しみ「ツアー」というものには縁がなかった。

 


そんな生活の中で最大限できる範囲で企画したのが「ナウいヤングの道東ツアー2016」という前述通りのライブツアーだった。

 


名前ダサッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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みんな若っ

 

 

 

 

 

 

 

 


夏の勢いがまだ残る2016年9月初めの帯広は盆地特有の暑さだった。

かずまと俺と釧路で拾った坂東の3人で会場であるペペソカフェのドアを開けた。

 


昭和のスナックを居抜きのままで営業していた面白い店舗だった。

 


この日は俺と坂東と彰太と、帯広のおさげちゃんずと花岡旬平が出演してくれた。

 


ライブの記憶があまり無いけど、お客さん皆に目を閉じてもらって俺に肩を叩かれた人がサビを1人で歌うという地獄のロシアンルーレットレスポンスみたいな

ふざけた遊びをやった記憶がある。

 


トリで出てきた彰太もそれをやる流れになったんだけど

あまりにシャイ過ぎて誰の肩も叩けずに思い余ってギター弾きながら会場の外に出て行ったのをこのあいだ思い出した。

 


文章にするとつまらない感じになっちゃうけどあの時はめちゃくちゃ面白かったなー。

 


ライブの写真は彰太の奥さんのひよりちゃんが撮ってくれた。

 

この集合写真もそうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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打ち上げは甘太郎へ行った。

冠太くんも合流してみんなでめちゃくちゃに飲んで

最後に拾丁目食堂というラーメン屋へ行った。

 


みんないいだけ酔っ払って俺はいつも通り店で寝てしまって

冠太くんはそれを盗撮したり

彰太は頼んだラーメンを一口も食べれなくてかずまに食べてもらったり

かずまは更に替え玉したり

坂東はずっと冷静だった記憶がある。

 

 

 

まるで少年漫画によくある全キャラ登場する見開きの1枚絵のようなわちゃわちゃしたムードだった。

 


最高な夜だった。

 

 

 

 


思えばかずまと俺で一番ミュージシャンらしいことが出来たのがこのツアーだったかもしれない。

 


まだ5年かとも思うけれど、もう5年も前の話。

 


帯広には甘太郎もペペソカフェも無いらしい。

拾丁目食堂もあの場所には無くて、坂東も音楽から離れてしまって

彰太のライナスは解散しておさげちゃんずもそれぞれに人生を頑張っているらしいし花岡旬平は生きいてるのか。

 

当の俺は結婚のチャンスを逃してマッチングアプリに苦戦している。

 


5年もあればみんなの人生は色々と変わっていくのだ。

 

本当に色々と。

 

 


ベロベロになりながら撮った1枚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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それでも帯広に行くたびにあの夜のことを思い出すし

それはいくら歳を取っても音楽を辞めたとしてもずっと残るもので素晴らしい。

 


でも細かな記憶は少しずつ薄れていくし、あの時みんなで何を話したかな?

なんてことも今かずまが隣に居てくれれば一緒に思い出してまたバカみたいに笑えたのかもしれないと考えると寂しい。

 

 

 

 

 

 

 


根室は全国的にも珍しく7月盆の地域。

つい先日かずまの実家に線香をあげに行った。

 


色々と聞きたいことがあったし話したいことがあったけど残念ながら返事はなかった。

 


どこかツアーにでも行ってるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あの日のあの場所でかずまが好きだったミュージシャン達と。

 


iPhoneもまた進化を遂げている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年。

相変わらずコロナコロナで好きなことが自由に出来ない世の中だけどそれでも夏は来る。

歩道の花壇も藤丸デパートも店先に並べられたイスも寝苦しいホテルのベッドも

帯広の街は隅から隅まで余すことなく全部夏だった。

 


記憶を呼び起こしながらまた書きます。

ハテナ

2021年になりました。

 


お久しぶりの更新です。

 

 

前回の記事はコチラ

https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/08/18/000828

 

かずまについての最初の記事はコチラhttps://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/03/26/163129

 

 

 

 

2013年2月23日(土)


この日は俺が主催するイベント「ワガママーティン」というイベントのためにかずまと海くんと札幌へ。

 


思い返すと3人で遠出をしたのはこれが最初で最後だったかもしれない。

 


俺の車に2人を乗せて夜中に出発した(はず)

 


道中のことはほとんど覚えてないし写真も残ってないけど、唯一短い映像だけは残ってた。

 

https://youtu.be/OTY-a9k_100

(冒頭〜0:13あたりまでがその映像)

 


海くんは撮る側だったから映ってないか。

 

 

 

昼前に輪厚パーキングエリアに着いてみんなでフランクルフルトを食べた。

 


何故だかめちゃめちゃ美味しくて記憶に残ってる。

 

 

 

札幌に着いてすぐ「Studio Link's」に向かった。

 


翌月に根室でお世話になるアイドルグループ「Snow Drop」のメンバーと関係者の方々に挨拶ついでに定期公演を鑑賞。

 


アイドルファンの方々に応援の仕方を教えてもらいながら一緒に楽しんだ。

 


かずまは照れてあんまりやってなかったな。

 


意外とシャイな奴なんだ。

 

 

 

 


終了後に会場を後にして、夜に開催される自分の企画イベントの準備のために「musica hall cafe」へと足を運ぶ。

 


ムジカホールカフェはこの日が最初で、飛び込みで企画ライブをさせてくれた優しい場所でした。

 


これをキッカケにモーメントフェスや自主企画で何度もお世話になることに。

 


店長の田所さんは誠実で優しい方で、色々気を遣ってくれた。

 


あの日は今思い返してもすごい楽しい日だった。

 


元々は村田知哉さんにレコーディングをお願いしたのがキッカケで

一緒にライブをやりたくて企画した。

 


そこに友達のJP(今はクロキでやってるのかな)

 


大好きだったウェッジソールレディ

 


後輩のみなみが教えてくれたThe coridrasのもすぎ

 


それに俺を入れた5組でライブした。

 

 

 

その頃は根室コピーバンドをやっていたかずまにとって

ガチガチのミュージシャンのライブを間近で見るのは初めての経験だったのかもしれない。

 


しかも爆音バンドを好んで聞いていたかずまにとって、静寂もアンサンブルになるようなアコースティックライブなんて初めてだったろうか。

 


かずまはキャッシャー(受付)を担当してくれた。

 


あのムジカホールの入口にNewEraキャップを後ろ向きに被った掠れ声の格闘家みたいな人間が居たと思うと滑稽で仕方ない。

 


そんな見てくれだけど、感受性はとことん素直で全ての演奏を全力で見てくれた。

 


村田さんにもこんな野太い歓声は自分のライブで聞いたことないと言われてた。

 

 

 

 

 

 

 


その頃はどこのライブにお世話になっても、お決まりな流れの中に違和感を生み出すのが快感だった。

 


元々俺らの動力源はアンチテーゼだった気がする。

 


いつもは平たく「つめ跡残す」と言っていた。

 


それはハイワットホールが出来ても変わることなくそうだった。

 

田舎者の根性というか。

そんなところなのかな。

 

 

 

 

この日のライブはお客さんが入るに入って50人以上の来場があった。

改装前のあのムジカでは椅子なんかもちろん足りなくて、後ろの方で立見したりキャッシャーの前にも人溜まりが出来たり酸素濃度の薄いそんな日だった。

 


もちろん俺の力でもなんでもなくて、ホームグラウンドで活躍する共演者達の力だったけど

それでも中学の野球部の先輩が来てくれたり

慎だったりかずまの友達が来てくれたり

根室繋がりでたくさんの人が来てくれて嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

みんなの呼吸で通りを見下ろせる窓が曇って外の灯りが乱反射して

ウェッジソールレディの2人の演奏がとても良くて

いずみちゃんがフルートを吹くその前の一瞬。

全ての音がスッと消えてまるで海の中に潜っていく感覚だった。

息を飲むとはまさにこのことかと思った。

 


本当に素晴らしい日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブが終わって打ち上げに行こうとなり、もすぎのエスコートで炎に行った気がする(違ったかな)

 


残念ながら出演者全員は揃わなかったけど、とにかく今日のことを1から順にすぐさま反芻したくて打ち上げに急いだ。

 


かんちゃんは北の勝の搾りたて(根室の地酒)を飲み過ぎてベロベロのヘラヘラで打ち上げに出れずに帰ったのは覚えてる。

なまらファニーだった。

 

 

 

 

 

 

打ち上げをしたのは

JPともすぎと俺と海くんとかずま。

それと慎とリノとみなみも居た。

 


打ち上げも最高に楽しくて、気付けばガシガシお酒を飲んで夜は過ぎていった。

 


最後はかずまと慎ともすぎの3人でいいだけワインを飲んで

もすぎがかずまのグラスに赤ワインを並々注いで「これ飲んだら俺は絶対根室行く!」

って言い放った。

(かずまの写真を整理してる時にその時の動画が出てきた)

 

 

 

その2年後にThe Coridrasは本当に根室に来てくれた。

しかも俺らが企画した大一番のフェスに。

 


有言実行するもすぎもカッコいい男だし

あの日赤ワインを飲み干したかずまも本当にカッコいい男だった。

 


その打ち上げをキッカケにかずまはもすぎを尊敬するようになって

コリドラスの曲を弾き語りする姿を何度も見た(カーディガンをよく歌ってた)

 


男は酒飲んだら大体仲良くなれる。

 

 

 

 

 

 

 


帰り道。

雪の積もった36号線をみんなでフラフラと歩いた。

 

 

何を話してたかもう憶えてないけど、今も外に出ればあの日と同じ身体の真ん中を通り抜けるような冷たい空気があって

長い人生の中で楽しい日はたくさんあるけど、特別だったと思える日はそう多くはないなと感じる。

 

 

 

この日は間違いなく特別だった。

 


俺にとってもかずまにとっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い返すとかずまも飲んだ勢いでよく人と約束をする男だった。

 

果たした約束もあるし果たせなかったものもある。

 

当時の俺らにとってバンドマンってのはそのほとんどが遠い街に住んでいて

次はいつ逢えるのか分からない、もしかしたら二度と逢えないかもしれないそんな存在だったから

また逢えるようにかずまは約束を重ねていたのかもしれない。

 

田舎者の本能みたいなものだったんだろうか。

 

 

 

 

俺もこのblogを更新するのを忘れないように皆さんに約束しようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アフターサマー

久しぶりの投稿。

 

 

 

2016年8月12日。

 


ちょうど4年前の今日はライブだった。

 

(2020年8月12日に書き始めた記事です)

 

 

 

 

 

 

 

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俺たちSHIN50 MARTIN BANDのライブがあって仲良い地元バンド全部出てくれた。

 

 

 

恥ずかしい話だけどこの日の記憶がほとんどない。

 


仲良いみんなが出てくれて楽しさしかなかったはずなのに。

 


楽しいことはマッハで駆け抜けるから海馬じゃ捉えきれないのかもしれない。

 


アーカイブ無し。

一発勝負。

 


ライブっぽくてそれはそれで良いか。

 

 

 

かずまのバンド「J.F.KENNEDYS」も出てくれた。

 


この日は俺らがトリでかずまがPAをやってくれた。

 


前日にリハやってLOWのブーストの感じとか細かく話した記憶がある。

 

 

 

その節はありがとう。

 

 

 

書いてるうちに思い出して来たけどこれぐらいのものかな。

 

 

 

この日はSHIN50 MARTIN BANDがJOIN ALIVE出演を記念して

一応凱旋ライブ的な形で企画した。

 


この頃のマーティンバンドは一番良いグルーヴだったしレコーディングを終えた頃だったから細かい部分までかなりキマッてたし

それをかずま含め仲良いバンド達みんなに見てもらいたかった。

 

 

 

JOIN ALIVEは言わずと知れた北海道の音楽フェスで

もちろん俺のキャリアの中でも1番大きなステージだった。

 

 

 

本当はかずまもスタッフとして連れて行きたかったんだけど

同日に根室でイベントがあってそれを回すのにかずまは根室に残ってもらっていた。

 

 

 

結果として人生で一番の後悔を生んだ。

 

 

 

かずまが生前「どうして俺がJOIN ALIVEに同行出来なかったのか」とボヤいていたと人に聞かされた。

 


通夜の席だった。

 

 

 

 

 

 

 


その当時の俺は多分イベンターになりたくて、音楽やイベントで少しでもお金を産み出したくて躍起になっていた。

 


話があるイベントは断らずに受けていたし、どんな現場でも上手にこなすことがハイワットホールの存在を示すことだと疑わなかった。

その態度がいつか何かに繋がるとも思っていた。

 

 

 

だから俺はバンドで頑張って来るからかずまは根室で頑張っていてくれと話をした記憶がある。

 

 

 

今はそうは思わないしあの頃の自分の思考には少しも理解を示せない。

 

 

 

かずまの代わりではないけど当時付き合っていた彼女の分のチケットを取って一緒に行った。

 

 

 

それから数年後に来る別れ際に、あの日はとても辛かったと言われた。

 


音楽に興味の無い人だった。

 

 

 

俺は初めて見る大型フェスのステージ裏に興味津々で

色んなステージの舞台裏を見せてもらったり勉強のために会場を奔走していた。

 


それは辛いのも当たり前か。

 

 

 

 


人生で一番の大舞台に立ったあの日。

 


俺は誰も幸せにしない選択をしていたんだと思うと恥ずかしくもあり情けない。

 

 

 

ずっと近くで俺の音楽を好いてくれていたかずまを置き去りにしてしまったんだな。

 

 

 

その日の根室は花火大会。

 


片付けを終えて機材を戻しに行く道中で花火が上がり始めて

「ジョー君と眺めてるうちにとてつもなく寂しくなりました」

なんて冗談っぽく言われたのが4年前のライブの打ち上げだった。

 


かずまだけじゃない。

 

誰も幸せに出来なかった。

 

 

 

自分の周りに居てくれる人間みんなで登りたい階段があったし

みんなでどんどん駆け上がって良い景色を見たいなんて思ってた。

 

それは確かだった。

 

でもかずまに託したのは、俺たちの音楽に少しも興味を持たない人間たちが時間を埋めるためだけに声を掛けて来たイベントだった。

 

そんなイベントと夏の岩見沢

 

今思えば簡単な2択だった。

 

そんなものに義理立てる必要なんてなかった。

 

 

 

全てぶっちぎってかずまを岩見沢キタオンのあの舞台袖に立たせてあげるべきだった。

 

 

 

今はそう思ってる。

 

 

かずまには割を食わせてばかりだった。

 

 

 

 


超絶ポジティブな俺の人生での数少ない後悔の1つであり、今1番強く感じている後ろめたさだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラを向ければ誰よりも良い顔をする男。

本番前に弦張り替えてくれてた。

ありがとう。

 

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高校3年の夏。

ELLEGARDENの「金星」を初めて聞いた。

 

それからずっと好きだったはずなんだけど

言葉の意味なんて少しも理解していなかった自分を思い知る。

 

 

8月17日。

先週までの猛暑が嘘のような夜。

 

自分の住む街の天気なんてそこに住む人間にしか興味が無いように

こんな思い出話もそこに居た人間にしか興味がないだろうけど

また思い出してはポツリポツリと書きます。

 

 

 

 

マドロミ

直近の記事はコチラ。

https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/04/02/195030

 

 

 

 

最近は毎日のようにかずまの夢を見る。

 

 

過去に実際にあったシーン。

 

過去にはなかったシーン。

 

かずまが生きていてどこかに出掛けているシーン。

 

などなど。

 

 

 

中にはリアルな夢もあって、もしかしたらかずまが生きている別の世界線がどこかに存在していて

夢の中でその世界を旅しているのかもしれないと本気で思えてくる。

 

 

マスラヲコミッショナーの「絆飛ぶ」という曲のサビにも

 

 

浅い眠りから

覚めたら全てが

あの頃のように

戻れる気がして

 

 

という歌詞があるように、朝になって目を覚ます度に、半ば本気でそう思えてくる。

 

 

音楽の良いところってのはこういう形容し難い感情をキチンと言葉で教えてくれるところだな。

 

 

この夢が「喪失感」の表れで、最初に書き始めた時にはまだ分からなかった感情なのかもしれない。

 

 

ちなみに最初の記事はコチラ

https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/03/26/163129

 

 

 

 

 

 

ただ思うのは、あまりにも地味だ。

 

 

かずまが旅立った日から今日まで、一度も泣いていない。

(弔辞の時はグッと来たけど)

 

別に我慢しているわけでもないし、恥ずかしいから隠しているわけでもない。

 

もしかしたら自分は人に執着が無くて、これだけ身近な人間が死んでも心動かない冷たい人間なのかもしれない、と考えたりもした。

 

でもやっぱりかずまのことは思い出す。

 

1日に何度も思い出す。

 

その度に寂しい気持ちになる。

 

 

多分だけど、自分は単にそういうタイプの人間なのかもしれない。

 

 

思い出した時にバーっと泣いて、スッキリして自分の人生頑張ろう!

って気持ちになるならまだ楽かもしれない。

 

朝起きる度に心が鈍い痛みを伴ってそれが続いていく。

 

そんな日々を想像するととてもツライ。

 

 

喪失感とはこういうことだったのかと今すごく実感している。

 

 

 

 

自分の言葉。

 

自分の行動。

 

自分の意志。

 

 

そういうものを大体は言葉に出来るし、整理して説明することが出来る人間だと自分では思ってる。

 

いわゆる有意識ってやつ。

 

その分「無意識」に感じたものに関しては全く分からないし上手く付き合うことが出来ない。

 

 

理屈をすっ飛ばして能動的に生きている人の方がそういう「無意識」との付き合い方は格段に上手なのかもしれない。

 

 

 

 

 

仕事中、車を止めて少しぼんやりすることが1日に1回はある。

 

今はまさにそんなタイミングで思い立って書き認めてる。

 

 

それ以外の時間は忙しくしてる。

 

心が紛れるし、忙しくしなきゃいけない理由も出来たから。

 

そんな中でぼんやりするこの時間は、大切だな。

 

微睡むようにぼんやりとする時間。

 

仕事しなきゃいけないんだけども。

 

 

思い出記事はまた次の更新で。

 

 

 

いつかのライブのブッキングをしてた時。

いつも遠慮して「お任せします」なんて言ってたかずまが珍しくライブに呼びたいって推して来た

「tissue.」

 

 

「微睡み」という曲。

 

勝手に載せます。

 

https://youtu.be/qpvCUpCV3ug

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サマーシュー

かずまと出会った2012年。

 

改めて写真フォルダーをよくよく見返したら意外とたくさんあったので

写真と共に呼び起こされた記憶を元に書いてみる。

 

 

 

 

 

かずまとの出会いはコチラ。

https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/03/31/191906

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真フォルダを少しスクロールすればかずまが現れるようになった。

 

でもこの時期はライブの写真はあまり無い。

 

どっか出掛けたりお酒飲んだりしてる写真ばっかだ。

 

多分この頃はそれが一番楽しい時間だったんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月15日(日)

 

この日は根室の花火大会の日で、その日には毎年決まって路上ライブをしていた。

 

この年も花火大会終わりに帰る人達に向けて路上ライブやってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最前列にはかずまが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白ちゃんとしゅうご。

 

これは多分かずまが撮った写真。

 

その当時のかずまの職場の先輩と、小学校からの後輩。

 

 

勝手に載せるぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路上ライブが終わって「居酒屋大ちゃん」へ。

 

 

「居酒屋大ちゃん」はハイワットホールの向かいにある居酒屋で

現「大衆酒場タスク」のマスターと友達で立ち上げた店で、どちらも俺の同級生。

(オーナーが変わってしまったけど今もお店は健在)

この日はOPEN2日目。

 

 

前の日も大ちゃんで散々飲んだけど、この日も飲むことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この日の記憶は正直曖昧だけど、かずまに言われたことで覚えてるのが2つある。

 

 

 

 

かずまを家に迎えに行って路上ライブに向かう車中で

 

「どんな音楽聴いてるんですか?」

 

って聞かれたこと。

 

 

知り合ったばかりのバンドマンならその日のうちに必ず済ます会話だと思うんだけど

意外にそういう話はしてなかった気がする。

 

 

俺自身、好んで聴く曲を人にあまり薦めたりしないタイプだったし

かずまはコピーバンドをやってたからなんとなく「ワンオク好きなんだろうな」

ぐらいにしか考えてなかった。

 

 

この日は俺が聞く音楽を初めて教えた日で

かずまが聞く音楽を初めて知った日だ。

 

 

 

 

 

 

「教えた日」なんて偉そうに言ってるけど、どのアーティストやバンドを教えたかは結構曖昧だ。

 

 

その当時好んで聞いていた

The Fratellis

THE HIVES

THE HOLLOWAYS

あたりは常に車にCDを積んでいたから紹介してると思う。

 

それとメジャー所だしってことでマイケミも紹介したんじゃないかなー。

多分。

 

かずまが普段聞かない音楽だったから、1曲通して聞き入ってた記憶がある。

 

 

人に音楽を薦めるor薦められる時。

 

どれぐらいの尺を聞かせるか、聞くかって結構悩んだりするよね。

 

 

かずまは1曲通して聴いてたから、音楽好きなんだなーって感心した記憶がある。

 

 

 

 

 

かずまは10-FEETとかRIZEとかDragon Ashとか

ラウド・ミクスチャー系の邦ロックが好きだった。

 

まさに俺の中学時代に流行ったバンド。

 

でも俺よりもずっと掘り下げて聴いてたし、色々教えてくれた。

 

 

 

 

 

覚えてることの1つがこの音楽の話。

 

 

もう1つが、居酒屋でお互いだいぶ酔った頃に

「女の子にモテますよね?」

 

って言われたこと。

 

 

これは単純に嬉しかったから覚えてる。笑

 

 

女が言う「えー、絶対モテるでしょー!?」は

セリフの相手が男でも女でも信用出来ないし

鵜呑みにして告白してもフラれるパターンだけど

 

男が言う「モテるでしょ!?」はお世辞じゃないし

相手が女でも男でも、少なからず好意がある。

 

実際に俺がそうだから。

 

 

 

だからかずまはその瞬間俺に惚れたんだなって勝手に解釈したんだけど

結局確認は出来ないままになったし、こうして答えの無いまま1人で書きしたためてるこの瞬間がもう勘違いみたいで恥ずかしい。

 

 

そうだったんだってことにしとこう。

 

 

 

 

 

 

かずまとは何度も夏を過ごしたけど、こうして振り返ってみるとあの夏は特別な夏だったんじゃないかと思えて来た。

 

 

夏の終わりはいつも切ないし、こうして終わった夏を思い返してもまた切なくなる。

 

 

それでも夏は一番好きな季節だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S

かずま。

8年経った今年の夏も彼女が出来そうに無いぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏が好きな人ー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハーイ!

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スベテハココカラ

まずはかずまとの出会いの日から振り返る。

 


書きしたためてる内に色んな人の顔やエピソードが呼び起こされて

それはそれは懐かしい感じなので一応それも備忘録として

固有名詞や名前を迷惑のかからない範囲でなるだけ書くことにします。

 


プライベート満点テイストで書いてくので

読んでもピンと来ない方は飛ばしちゃってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2012年1月7日(土)

20'sParty

このイベントがかずまとのファーストコンタクトとなる。

 

 

 

当時の根室にライブハウスは無く、プラスワンというキャバレーの跡地に毎回機材を運んでライブしてた(今はもう無い)

 


20'sPartyはその年に成人を迎えた後輩のせいやが主催したライブイベント。

 


学年で言うとかずまの1つ上の世代。

 

 

 

そのお祝いライブもプラスワンで。

 


写真掘り起こしたけど残念ながらかずまのライブ写真は見つからず。

 


こんな感じだった。

 

 

 

 

 

 

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懐かしい。

 

看板がチープ過ぎる。

 


けど最高だったなー。

 


出演者はよく覚えてないんだけど、多分自分も出てた。

 


THE ASTON MARTINSというバンド。

 


ちなみにSHIN50 MARTINのマーティンはこのバンドから由来してる。

 


その他には

SCRATCH

clumsy

のぢん君のバンド(名前忘れごめん)

マキシマムザキム

〆さばとかも出てたかな?

 


そしてかずまのバンド

ONE NO ROCK

が出てた。

 


もちろんワンオクのコピーバンド

その後に始める10-FEETコピーバンドの名前が「10-NEET」だから

この頃からかずまのネーミングセンスはブレてない。

 


まるで大学生みたいなセンスだな。

 


この頃のかずまは進学を諦めて実家の牧場を手伝ってた。

他のメンバーはちょうど帰省シーズンで根室に居たんだと思う。

 


ボーカルはこの頃かずっちょだったかな。

 

 

 

 

 

 

この頃の根室にはDELAY'S(ディレイズ)という高校生のライブイベントがあって

俺が同級生たちとみんなで始めて以来、どんどん受け継がれていった。

 


機材は別海のオノケンさんが貸してくれて

会場は開けとくから好きに使ってくれのシステムで

出演者もPAも高校生だけの自由奔放なイベントだった。

 


今ではあり得ない話だったけれど、当時はそんな感じだった。

 


それが何故か、せいやからかずまを飛ばして2学年下のしゅんに代替わりしてやってた。

 

 

 

その辺の理由は定かじゃないけど、多分その辺の理由の1つとして

「かずまが尖ってた」ってのがある。

 

 

 

後にかずまと知り合う人たちからすると想像もつかないと思うけれど

当時のかずまを含むONE NO ROCKはトゲトゲしいムードだった。

 


愛想っ気も無いし、出番終わったらさっさと帰るし

ロクに話をした記憶も無い。

 


だから正確には対バンは何度かあったけど、ちゃんと会話をしたのはこの日が初めてだった。

 

 

 

 

 

 

話は20'sPartyに戻る。

 


イベントは夕方から始まったらしい。

記憶に無かった。

 


当時のイベント告知が俺のmixiに載ってたのでどうぞ。

 

 

 

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1月7日(土)

キャバレー麦(プラスワン一階)

17:00オープン

17:30スタート

入場料\500(高校生以下無料)

 


8バンドくらい出演予定

 


日本一行儀のいいパンクバンド、我らがTHE ASTON MARTINSが出演します。

 


他にもコピーバンドもやる予定です!

 


終わった後はそのままパーティーやります!

時間の許す限り楽しんでって下さい!

 


今年成人の人や聖也と面識ある人は是非是非!

 


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てな感じ。

 


大変申し訳ないけど内容は覚えていない。

 


記憶は無いけど想像するに酒を飲み過ぎていたんだと思う。

 


打ち上げ番長・かずまとの出会いにはピッタリなコンディションではある。

 

 

 

 

 

 

ただ一つ覚えてるのが、かずまと仲良くなりたいと思っていたこと。

 


かずまがブレないのはネーミングセンスだけじゃなく、好きな音楽とファッションもそう。

 


当時からニューエラCAPにジーンズにバンドTみたいなファッションだったし

当時から変わらずロキノン系やミクスチャー系やインディーJロックが好きだった。

 

 

 

ライブハウスを始めた今はそういう界隈のバンドとたくさん知り合うようになったけど

その頃の根室には居ない存在だった。

 


その当時のTHE・バンドマン!って感じだし

イキの良い兄ちゃんみたいな雰囲気で

単純にかずまに興味があったのは覚えてる。

 

 

 

そんなかずまのライブが終わって、俺のバンドの出番が来てステージに上がると

てっきり帰ったと思っていたかずまが俺らのライブを最後列で見ててくれた。

 

ただ、その姿を見て「義理で1〜2曲聞いたら帰る人間の顔だ」と思った。

(俺もそういう時あるから分かる)

 

そこで咄嗟に「今日はみんなで酒飲む日だから絶対帰んなよ!」ってMCで言った記憶がある。

 

 

 

 


言い方は覚えてないし他にもカッコ付けて臭いこと言った気もするけど

そこは恥ずかしいから思い出さないでおく。

 

 

 

それを聞いたかずまが軽く微笑んでたのをステージから見た記憶がある。

 

 

 

ライブ終わりに隣のカラオケ屋「アラジン」のパーティルームで打ち上げをして

そのままコンテナ(俺の当時のバンド練習小屋。コンテナハウス)

に移動して朝まで飲んだ。

 


ONE NO ROCKの他のメンバーは帰っちゃったけど

かずまとしんは来てくれた。

 

 

 

かずまも牧場の仕事があったけど寝ないで行ってた気がする。

 

 

 

そこからかずまとの交流が始まる。

 

 

 

打ち上げの写真もあった。

ブレブレでかずまが居るかどうか分からないけど。

 

 

 

 

 

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今はバンドやる高校生も減ったし、雰囲気も流行りのジャンルもすっかり変わっちゃったけど

その当時はやっぱり明るくてちょっとバカで動機が不純な奴ばっかりバンドやってた。

 


集合写真では一番前に寝そべるようなタイプの人間。

 


根室も例に漏れずそんな人間達ばっかりだった。

 

 

 

そんな陽キャの集まりでもキッカケがないまま仲良くなれなかったり微妙な距離感のままの人たちも居て

それを思うとあの時ステージからかずまに声掛けてなかったらどんな今だったんだろうってたまに考えたりする。

 

 

 

 

 

 

数年後にかずまとこの日のことについて話をすることがあったんだけど

かずま曰く「シンゴマーティンが尖ってたから話かけられなかった」とのこと。

 

 

 

なんだそのマンガみたいなすれ違いは。

 

 

 

尖ってたつもりは全く無いけど、かずまが言うには

革ジャンにサングラスでいつも最後列で腕組んでライブ見てたから怖かったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これか。

 


確かに。

 


イキってんな、俺。

 

 

 

 

 

そんなすれ違いから始まったかかずまとの交流が約8年前。

 


まだサウンドガレージもハイワットホールも出来る前の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S

古いスマホ漁ってみたけど、写真撮らない系男子のためなかなか見つかりません。

 


2012年1月7日以前でも以降でも構わないので

かずまが写ってる写真持ってるよ!

って人は連絡ください。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日を振り返った日記をmixiで発見したので載せます。

 


簡単なものですが。

 

 

 

 

 

 

 


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1月7日土曜日。

 

 

 

成人式のために帰って来たTHE ASTON MARTINSの元Ba.SE1YA MARTIN主催の成人おめでとうライブパーティーでした。

 


フロアには顔の知れた仲間や後輩だらけでやたらテンション上がった。

 

 

 

もうこの日は絶対身内ノリのライブにしたい!

と思ってたから見事にハマって良かった!!

 


打ち上げもがっしりして楽しい一日だった!

次の日仕事だったのが残念!

 

 

 

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写真は大事よね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拾いたてのきなこ。

 

 

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