美しくあれ[歌詞と解説と思い出話]
「美しくあれ」
知らぬ間に雨が降っていたんだな
夕暮れが照らす壁は日焼けの色
都合良く虹でも架からないかと
思って見上げた窓の外
ベッドに寝転がってパンを食べて本を読む
贅沢な生き方ばかり知ってきたんだな
ここにはない何かを幸せと呼ぶのなら
寄り添う苦しみからは逃れられないよ
世界はそう素晴らしいって
あと何度空が晴れたら思えるのか
Life is shine a light
ボクを照らして ボクを照らしてくれても良いのに
売り付けられた嘘はガラクタだった
買えないものばかり追いかけて
貰った愛は捨ててばかり
隣の君よボクを愛せよ
世界はそう素晴らしいって
あと何度空が晴れたら思えるのか
Life is beautiful,shine a light
ボクを照らして ボクを照らしてくれても良いのにな
Life is beautiful 空が泣いてる
Life is beautiful 誰かが泣いてる
Life is beautiful この街の空は晴れてる
あの日聞かれたことの答えは今もまだ
上手く言えてはいないのだけれど
遠くの街の君の涙を
美しく想う罪なボクをどうか愛してくれ
ライブではほぼ毎回演奏していて、有り難いことに好きと言ってくれる人が多いこの曲はある1人の女の子との出会いから始まる。
遡ること6年前の2015年4月。
ネパールで大地震の起きた年。
SNSを通じて同郷出身のとある女の子が大学のサークルでボランティア活動をしていることを知った。
ボランティア活動で何度も足を運んでいたネパールで奇しくも起きた震災。
現地の友人達の助けになるべく募金を呼びかけていたその子の記事を見てわずかばかりの金額だったけど支援に協力した。
同郷出身のよしみもあったけど、なにより現地に直接届けてくれるという安心感だったかもしれない。
(東日本大震災を経験した人はピンと来ると思うけど、当時は義援金詐欺とか赤十字はなんたら〜とか色々とあった)
そんな最中につくり始めた曲で、わりとすぐに書き上がった曲。
曲の内容は端的に言うと「豊かさに守られていながら幸福度の低い先進国に住む人間を皮肉った歌」
その先進国とはまさに日本のこと。
そして俺を含む日本人のこと。
冒頭の1 バースは詞を書き始めたその日のことで
昼寝をして夕方起きたら道路が濡れていて「あー雨降ってたんだなー」
なんて思いながらベッドの上から空を眺めていた。
「都合良く」虹でもかからないかと思う幸せかぶれの俺。
そんな俺はひどく天気に左右されやすい人間で雨が降れば沈んだ気持ちになるし
空が晴れてたらすれ違う他人にも挨拶したくなるくらい気分が良くなる。
そんな俺でも世界を素晴らしいとは中々思うことができなくて、例えばあと何回この清々しい天気が続けば心の底から「世界は平和だね」なんて思えるのかって話がBメロである。
デマ・陰謀論・副業・投資etc…
SNSを開くとたちまち出てくる根拠の無い記事。
それらは全てガラクタみたいなものでしょーもないものばかり。
それを良かれと人に押し付けがましく拡散したり同意を求めたり。
いくら生活が豊かになって教養を授かっても、自分で情報を取捨選択する能力がなければそれは学がないのと変わりないのだ。
かく言う俺も全ての情報のエビデンスを立証することは出来ないし
奇抜な見出しを見て不安に苛まれることもある。
今は完全に情報過多の時代で、自分の頭だけで正誤を判断をすることが難しくなってる。
話はネパールの震災に戻る。
レンガ造りの住居が主流の村がネパールにあって、未曾有の震災によりそのほとんどが崩れてしまったと取材記事で読んだ。
住む家を失くした人々は一体どうしたと思う?
と会う人にたまに問いかけたりするんだけど、必ず正解には至らない。
答えは
「崩れたレンガを積み上げてまた家を作った」
日本じゃ考えられない話だ。
東日本大震災で被災した東北の土地では10年かけて盛り土をして最近やっと家が立ち始めて
当時は比較的迅速に仮設住宅が用意されて
それ以降、日本全国では耐震基準を満たしてない公共施設に耐震工事の予算がバンバン付いている。
トライ&エラーを繰り返して発展してきた今日のテクノロジーは当たり前だけど人の思いと情熱と研究の成果で
それが俺たちの快適な生活を支えているんだけど
そのお金がない発展途上国は先述の通り、またレンガを積み上げるしかないのだ。
もちろん壊れない家があるならその方が良いのは承知の上でも
明日の生活を維持するためには目の前にあるレンガを積み上げて家を再建させる他ない。
貧困というのは人が正しい選択をする機会を奪う。
逆に言うと我々が正しい選択を出来ているのは経済的に余裕があるからということ。
(最近の日本は不景気になって拝金主義が増えた気もするけど)
それなのに日々の生活をとても不幸に感じている自分がいる。
心が貧しく感じてしまう。
そんな日本人を皮肉った内容がこの「美しくあれ」という曲の歌詞の大枠。
「買えないものばかり追いかけて 貰った愛は捨ててばかり」
これはもう6年ほど、自分の人生のテーマでもある。
根本的にワガママなんだ。
大量の食品ロスもそうだし、需要と供給が合わない。
最近始めたマッチングアプリもそう。
身近に居て良いと思ってくれる人を自分も良いと思えたらそれだけで結婚や恋愛に困ることはないんだ。
それが出来ないから難しいし、そのうちに「自分1人の時間も大切にしたいです」とか「精神的に自立してる人が良いです」とか言い出すともう人と生きるなんて無理なんだ。
人生ってものをもっとシンプルに考えたいよね。
食って寝て働いて子供残してはい!幸せ!!
って生き方の方が幸福度マックスなまま死ねるんじゃないかって思う。
死ぬ時に幸福ならそれで人生優勝じゃん。
自己実現世界選手権優勝。
スティーブ・ジョブズの最期の言葉を聞いてなおさらそう思う。
「人と関わって変化する自分を受け入れよう」と思い始めたのも多分2015年から。
無意味なこだわりとか人生の意味とかそんなものに大した価値なんてない。
「隣の君よ 僕を愛せよ」
これは新約聖書に出てくる「汝の隣人を愛せよ」という言葉のオマージュで
本来の意味は「自分を愛するようにあなたの隣りの人を愛せよ」という意味。
人に愛されたいならまず愛せよって話だ。
「僕を照らしてくれてもいいのに」
YouTubeやらTikTokやらが普及して、誰もが誰かのスターになれるようになったし
「自己顕示欲を満たしたい」
「スポットライトを浴びたい」と考えることがわりと当たり前になったけど
先述の通り、別にたくさんの人に愛されなくたって良いし
周りにいる家族と友人と幸せになってくだけの人生もある。
というかそれが今までの当たり前だったしこれからも変わらず真理だと思ってる。
だからオンラインという舞台上で上手くいかないことが不幸なわけないんだけど
みんな不幸を感じたりしがみついたりしてるよなっていう。
そういや炎上系YouTuberって減ったよね。
「遠くの街の君の涙を 美しく想う罪な僕をどうか愛してくれ」
「恵まれない国の子供たちです」なんて言って子供達の写真や映像を紹介する人がいる。
それを見て泣いてるバカがいる。
やるべきことは哀れむことじゃなくて、支援すること。
間違っても感傷中毒の人間に消費されるコンテンツなんかじゃない。
そのバカとは俺のこと。
思うに写真や映像の中の子供達も自ら命を絶ったり浮かない顔した日本人の群れを見て哀れんでいるかもしれない。
多くを知ることばかりが正しさじゃないし
半径10kmの世界しか知らない方が幸せなこともある。
そんな幸せについてのお話でした。
この曲はBPMが2種類。
人間のリズムは不正確だからライブでやってる感じにならない部分のテンポを変えた。
でもその方が心地よかったりするよねー。
あとはギターのリフが360°サラウンド風になってたり部分的にバスドラムをオーバーダブしたり(記憶が曖昧)
効果音が多々入ってたりと色々と小ネタが。
ギターリフはL⇔Rじゃ雰囲気出なくて、360°に振りたくてやってもらったけど、どうやったかは俺も知らない。
3:54〜はギター何本入れたんだろう。
結構オーバーダブしてる。
そして前半は7/8の変拍子の小節がいくつか入る。
しばらくライブやってないと自分達でも忘れる。
久しぶりの練習では「あれ、ここで変拍子だっけ?キメは??この後?」とか毎回やってたから音源に出来て良かった。
いつでも聞ける。
自分達が一番嬉しい。
3:32〜にはセリフが入ってる。
歌詞には載せてないからイヤホンして聞いてみて。
この曲はとにかくイヤホン推奨っす。
というわけで長々と書きすぎてHP消費した。
残り2曲。
HP回復したらまた書きます。
髭長きなこ。