サトガエリ
お久しぶりです。
前回の更新から半年経ちました。
前回の記事はコチラ
https://shin50martin.hatenablog.com/entry/2021/01/28/203954
かずまについての最初の記事はコチラhttps://shin50martin.hatenablog.com/entry/2020/03/26/163129
ここ数日の猛暑はすごいもので、この間までの冷夏のような気温が嘘みたいな真夏日模様。
久しぶりに帯広でライブをやらせてもらえるってことで行って来た。
いつぶりか忘れるくらいに久しぶりの帯広でのライブ。
帯広のライブはいつも夏がセットでついてくる。
初めてのライブは2006年の8月だった。
帯広RESTで今はなきTeen's Music Festivalというコンテストに出演するために盟友ブキッチョーズとJRに乗って行ったのが最初だった。
帯広の中心街・広小路は祭りの真っ只中でRESTのドアを開けて地下に降りるとそこには同年代の高校生バンドマンが溢れるほど居た記憶がある。
結果は奮わなかったけど、帰り道にTAKA-PがJRに乗り遅れて釧路で野宿するハメになったり
釧路駅でお祭り帰りのえりかという女の子をナンパして一緒に芦野まで歩いたり
寒くて死にかけたり次の日のJRから見える景色がすごく良かったり
さんざん遊び倒してもまだまだ夏が待っていることがとても嬉しかったりした。
KREVAのイッサイガッサイの1バース目はあの日の俺らのことなのかもしれない。
そんなもんだから帯広のライブの記憶にはいつも夏の匂いが染み付いている。
2016年9月10日(土)
この日は坂東と彰太と俺のライブツアーの帯広編だった。
そこにはかずまも居た。
ライブツアーと言ってもそれぞれの地元である釧路→根室→帯広の3箇所だけで
演者みんなで一緒に車移動なんてこともなく期間も空き空きでただのライブだったように思うけど
それでも良き思い出だった。
ハイワットホールを始めた2014年に俺とかずまと海くんの3人で話し合って
全員がライブハウスを生業とせずにそれぞれ勤め人として働こうという結論を出した。
理由はシンプルに収支のメドが立たないってこと。
7年前はすでに潰れるライブハウスが多かった時代だし田舎街じゃどうにもならない気がしていたから。
おかげで時間も体力も有限だったし音楽にどっぷりとハマる生活は出来なかったけど
今のコロナ禍を考えるとナイスな判断だったと思う。
そのお陰でハイワットホールは今も潰れずにやれてる。
かずまの病気が発覚した時もそう思った(給与補償や福利厚生がしっかりした職場だった)
そんなライフスタイルを選択した俺たちだからバンドマンの楽しみ「ツアー」というものには縁がなかった。
そんな生活の中で最大限できる範囲で企画したのが「ナウいヤングの道東ツアー2016」という前述通りのライブツアーだった。
名前ダサッ
みんな若っ
夏の勢いがまだ残る2016年9月初めの帯広は盆地特有の暑さだった。
かずまと俺と釧路で拾った坂東の3人で会場であるペペソカフェのドアを開けた。
昭和のスナックを居抜きのままで営業していた面白い店舗だった。
この日は俺と坂東と彰太と、帯広のおさげちゃんずと花岡旬平が出演してくれた。
ライブの記憶があまり無いけど、お客さん皆に目を閉じてもらって俺に肩を叩かれた人がサビを1人で歌うという地獄のロシアンルーレットレスポンスみたいな
ふざけた遊びをやった記憶がある。
トリで出てきた彰太もそれをやる流れになったんだけど
あまりにシャイ過ぎて誰の肩も叩けずに思い余ってギター弾きながら会場の外に出て行ったのをこのあいだ思い出した。
文章にするとつまらない感じになっちゃうけどあの時はめちゃくちゃ面白かったなー。
ライブの写真は彰太の奥さんのひよりちゃんが撮ってくれた。
この集合写真もそうかな。
打ち上げは甘太郎へ行った。
冠太くんも合流してみんなでめちゃくちゃに飲んで
最後に拾丁目食堂というラーメン屋へ行った。
みんないいだけ酔っ払って俺はいつも通り店で寝てしまって
冠太くんはそれを盗撮したり
彰太は頼んだラーメンを一口も食べれなくてかずまに食べてもらったり
かずまは更に替え玉したり
坂東はずっと冷静だった記憶がある。
まるで少年漫画によくある全キャラ登場する見開きの1枚絵のようなわちゃわちゃしたムードだった。
最高な夜だった。
思えばかずまと俺で一番ミュージシャンらしいことが出来たのがこのツアーだったかもしれない。
まだ5年かとも思うけれど、もう5年も前の話。
帯広には甘太郎もペペソカフェも無いらしい。
拾丁目食堂もあの場所には無くて、坂東も音楽から離れてしまって
彰太のライナスは解散しておさげちゃんずもそれぞれに人生を頑張っているらしいし花岡旬平は生きいてるのか。
当の俺は結婚のチャンスを逃してマッチングアプリに苦戦している。
5年もあればみんなの人生は色々と変わっていくのだ。
本当に色々と。
ベロベロになりながら撮った1枚。
それでも帯広に行くたびにあの夜のことを思い出すし
それはいくら歳を取っても音楽を辞めたとしてもずっと残るもので素晴らしい。
でも細かな記憶は少しずつ薄れていくし、あの時みんなで何を話したかな?
なんてことも今かずまが隣に居てくれれば一緒に思い出してまたバカみたいに笑えたのかもしれないと考えると寂しい。
根室は全国的にも珍しく7月盆の地域。
つい先日かずまの実家に線香をあげに行った。
色々と聞きたいことがあったし話したいことがあったけど残念ながら返事はなかった。
どこかツアーにでも行ってるのか。
あの日のあの場所でかずまが好きだったミュージシャン達と。
iPhoneもまた進化を遂げている。
2021年。
相変わらずコロナコロナで好きなことが自由に出来ない世の中だけどそれでも夏は来る。
歩道の花壇も藤丸デパートも店先に並べられたイスも寝苦しいホテルのベッドも
帯広の街は隅から隅まで余すことなく全部夏だった。
記憶を呼び起こしながらまた書きます。