アフターサマー
久しぶりの投稿。
2016年8月12日。
ちょうど4年前の今日はライブだった。
(2020年8月12日に書き始めた記事です)
俺たちSHIN50 MARTIN BANDのライブがあって仲良い地元バンド全部出てくれた。
恥ずかしい話だけどこの日の記憶がほとんどない。
仲良いみんなが出てくれて楽しさしかなかったはずなのに。
楽しいことはマッハで駆け抜けるから海馬じゃ捉えきれないのかもしれない。
アーカイブ無し。
一発勝負。
ライブっぽくてそれはそれで良いか。
かずまのバンド「J.F.KENNEDYS」も出てくれた。
この日は俺らがトリでかずまがPAをやってくれた。
前日にリハやってLOWのブーストの感じとか細かく話した記憶がある。
その節はありがとう。
書いてるうちに思い出して来たけどこれぐらいのものかな。
この日はSHIN50 MARTIN BANDがJOIN ALIVE出演を記念して
一応凱旋ライブ的な形で企画した。
この頃のマーティンバンドは一番良いグルーヴだったしレコーディングを終えた頃だったから細かい部分までかなりキマッてたし
それをかずま含め仲良いバンド達みんなに見てもらいたかった。
JOIN ALIVEは言わずと知れた北海道の音楽フェスで
もちろん俺のキャリアの中でも1番大きなステージだった。
本当はかずまもスタッフとして連れて行きたかったんだけど
同日に根室でイベントがあってそれを回すのにかずまは根室に残ってもらっていた。
結果として人生で一番の後悔を生んだ。
かずまが生前「どうして俺がJOIN ALIVEに同行出来なかったのか」とボヤいていたと人に聞かされた。
通夜の席だった。
その当時の俺は多分イベンターになりたくて、音楽やイベントで少しでもお金を産み出したくて躍起になっていた。
話があるイベントは断らずに受けていたし、どんな現場でも上手にこなすことがハイワットホールの存在を示すことだと疑わなかった。
その態度がいつか何かに繋がるとも思っていた。
だから俺はバンドで頑張って来るからかずまは根室で頑張っていてくれと話をした記憶がある。
今はそうは思わないしあの頃の自分の思考には少しも理解を示せない。
かずまの代わりではないけど当時付き合っていた彼女の分のチケットを取って一緒に行った。
それから数年後に来る別れ際に、あの日はとても辛かったと言われた。
音楽に興味の無い人だった。
俺は初めて見る大型フェスのステージ裏に興味津々で
色んなステージの舞台裏を見せてもらったり勉強のために会場を奔走していた。
それは辛いのも当たり前か。
人生で一番の大舞台に立ったあの日。
俺は誰も幸せにしない選択をしていたんだと思うと恥ずかしくもあり情けない。
ずっと近くで俺の音楽を好いてくれていたかずまを置き去りにしてしまったんだな。
その日の根室は花火大会。
片付けを終えて機材を戻しに行く道中で花火が上がり始めて
「ジョー君と眺めてるうちにとてつもなく寂しくなりました」
なんて冗談っぽく言われたのが4年前のライブの打ち上げだった。
かずまだけじゃない。
誰も幸せに出来なかった。
自分の周りに居てくれる人間みんなで登りたい階段があったし
みんなでどんどん駆け上がって良い景色を見たいなんて思ってた。
それは確かだった。
でもかずまに託したのは、俺たちの音楽に少しも興味を持たない人間たちが時間を埋めるためだけに声を掛けて来たイベントだった。
そんなイベントと夏の岩見沢。
今思えば簡単な2択だった。
そんなものに義理立てる必要なんてなかった。
全てぶっちぎってかずまを岩見沢キタオンのあの舞台袖に立たせてあげるべきだった。
今はそう思ってる。
かずまには割を食わせてばかりだった。
超絶ポジティブな俺の人生での数少ない後悔の1つであり、今1番強く感じている後ろめたさだ。
カメラを向ければ誰よりも良い顔をする男。
本番前に弦張り替えてくれてた。
ありがとう。
高校3年の夏。
ELLEGARDENの「金星」を初めて聞いた。
それからずっと好きだったはずなんだけど
言葉の意味なんて少しも理解していなかった自分を思い知る。
8月17日。
先週までの猛暑が嘘のような夜。
自分の住む街の天気なんてそこに住む人間にしか興味が無いように
こんな思い出話もそこに居た人間にしか興味がないだろうけど
また思い出してはポツリポツリと書きます。