猫なんて飼うもんか!

猫アレルギー

「サヨナラ」シテモ人生ダ

ハイワットホールの店長「J.F.KAZMA」の葬儀が終わった。

 


身近な人間との死別ほど、落ち着いてから実感するものだとはよく聞くけれど

日も浅い今はよく分からないのが正直なところ。

 


ただ言葉の意味はよく分かる。

 


それが家族ならば、ただいまの声。

 


それが恋人ならば寝る前のおやすみと広く感じるベッド。

 


毎日洗っていたお弁当箱。

脱ぎっぱなしの服。

いびきをかく声。

 


疎ましいと思っていたことでさえもそれが故人の存在を示すものだったりするわけで。

 


そう考えたら、平時に戻って行けば行くほどその喪失感を感じる機会が増えていくんだな。

 

 

 

それが俺とかずまの場合どんなことだろう。

 


かずまとは並びあっているようで並びあっていなかったし

向かい合っているようで向かい合っていなかった気がする。

 


一体どんな関係だったんだろうと考えると

肩書きの上ではライブハウスの店長と代表。

 


同じ高校の後輩と先輩。

 


バンド仲間。

 

 

 

繋がりを考えたらキリが無いほどたくさん出て来るけれど

それだけに収まらないのが人間関係の深さってもんで。

 

 

 

かずまとたくさん話をした。

 


2人にしか分からない面白いワードやネタがある。

 


それも無数にある。

 


かずまは記憶力が良いから、何年も前に2人で体験した面白いエピソードやその中のパワーワードをいつまでも覚えてる。

 


だからたまにそのワードを発するとふいを突かれて笑う。

 

それは2人だけの面白いヤツだったし勿論、文章に起こして紹介出来るような滑稽さでも無い。

 

それに真剣な話も同じぐらいした。

 

俺は哲学的な話が好きで、答えが出ない事柄に延々と頭を巡らすのが大好きだ。

 

かずまは聞いている方が多かったけど、聞き上手だからいくらでも喋ってしまえた。

 

かずまも好きだったと思っていたけれど、もしかしたら聞き流し上手なだけだったかもしれない。

 

どうだったんだろう。

 

今はもう分からないけど。

 


そんなやり取りをお互いしつこいくらいにしてたから

その機会がもう無いんだと考えると、それはものすごい喪失感だ。

 


ここが実感するところの一つで一番大きな部分かもしれない。

 

 

かずまはお笑いが好きで頭の回転が早いから

会話術に長けている。

 


その上で社交において最重要な「人への気遣い」も見事に出来る男だ。

 


このバランスの良さがかずまの魅力だと、出会って早い段階で気付いた。

 

 

 

 


かずまは気遣いが出来る男で、気を遣い過ぎるところもあった。

 


俺も同じだった。

 


だから俺のことは最後まで名字に「さん」付けだった。

 


でも俺はSHIN50 MARTINと言うステージネームだし

ライブハウスで出会う人のほとんどは俺のことを「しんご」とか「マーティン」としか呼ばないから

話の中で相手に俺の名字が伝わらずに何回も言い直してる光景を見た。

 

 

 

同じハイワットホールの海くんとはまた違った関係だった気がする。

 


俺より歳上の海くんには何故か俺よりフランクに接していた気がするし

俺も決してそれが嫌なわけでもなかったけど、その理由はよく分からないし

人が違えば接し方も1人ずつ変わって来るのが当たり前かとも思った。

 


かずまとは男らしい付き合いをしたことが殆ど無い。

 


一緒に風呂入ったりとか、下品な下ネタでゲラゲラ笑ったりだとか

男の子によくあるようなそんな楽しみはまぁ無かった気がする。

 


俺がそういうことに誘わないからかずまも自分からそうはしてこなかったのかもしれない。

 


気遣いヤーだから。

 


もしかするとかずまも自分の同級生とはそういう男の子らしい関係だったのかな。

 


聞いたことないから分からないけど。

 

 

 

俺も気遣う方だし、かずまも気遣いヤーだから、お互いに踏み込みすぎたことをしたり言ったりした記憶は無いし

人間誰にだって踏み込まれたくないこともあるから

それはそれでちょうど良いバランスだったのかもしれない。

 


親友とも先輩後輩とも仲間とも言えないこの関係は言葉ではなんとも形容し難い。

 


まぁカテゴライズ出来ることばかりじゃないから

無理にそうはせず、こんな感じで良かったのかもしれない。

 

 

 

それでもお別れの言葉は俺が読むことになった。

喪主であるお母さんに直接お願いされたので、それは謹んで読ませていただいた。

 


式では友人代表と紹介されたけれど、前述の通り友人代表と言われるには形容し難い間柄だと自分の中では思っていた。

 


それでもお母さんが自分を名指ししてくれたのは素直に嬉しかった。

 

 

 

参列した方たちもそれぞれがかずまとの関係性に違いがあって

出会いの場もエピソードも各々違う。

 

 

 

もしかしたら数回話した記憶があるだけの人や

人に話すほどのエピソードも持ち合わせて無いけど…なんて思いながら参列した人も居たかもしれない。

 


ただそれは他者に関係性を示すためだけのものであって

偉そうに人間関係を語らせてもらえるならば、思い出は数じゃないし積み上げていくものばかりじゃない。

 


だからみんなの記憶にかずまが居るかどうかについて

過ごした時間の多さはあまり関係が無いと思う。

 


だから数回の出会いでも親友のように仲良かった人を俺は知ってるし

そんな多様な人たちの代表としてお別れの言葉を述べるのは相当に難しかった。

 

 

 

そんなことを考えていたら途端に自信が無くなったから

方向性を変えてみんなを泣かすことにした。

 


かずまも俺も、お互いステージに立つ人間だったし

多分それを望んでくれるだろうと思ったから出来るか分からないけれど、やってのけようと思った。

 


俺がかずまに向けた言葉の後ろで皆が泣いてくれるのを

かずまは一番良い席で見られるんだから、それはなかなか良いシチュエーションだった。

 

 

 

結果的に俺も泣いたけど。

 


かずまは多分俺が泣いた瞬間に大笑いしていたかもしれない。

 


まさにお経を上げてくれたお坊さんが説いてくれた通りの最後だった。

 

 

 

 

 

 

人間関係の話に戻る。

ライブの打ち上げではお馴染みの「大衆酒場タスク」が出来た5年くらい前から

かずまは俺の仲良い同級生数人とも仲良くなってよくお酒を飲むようになった。

 

 

 

前述の通り俺もかずまも気遣いヤーだったけど

俺の同級生は無神経でバカ正直な人間ばかりだから

知り合ったばかりのかずまの心に土足でガシガシ上がって行った。

 


かずまも悪くない感じだったし、いつも笑ってた。

 


数年前にかずまが女の子とタスクへ行ったことがあった。

 


タスクの店長も俺と同級生で、勿論俺たちも行きつけの店だから週末に自然と集まる。

 

 

 

案の定、店長から密告が入り何の躊躇もなく踏み込んでいく同級生たち。

 


次から次へと席に上がり込み冷やかしていく中で、最後に同級生の奥さんが来て

静止してくれるものだと思って安心したところで、その奥さんも席に座って話し込んでくというなんとも無神経なエピソードを

かずまは何度も、笑いながら繰り返し話していたことを思い出す。

 


その奥さんも勿論俺の同級生だ。

 


その子とかずまは初デートでその後は上手くいかなかったというオチも含めてあの日はコントみたいな夜だったな。

 


なんて無神経な人間たちばかり同じ年に生まれたんだろう。

 


結局席から全員引き剥がしたのは俺で、かずまと俺の関係を如実に示している。

 


その分かずまと俺が2人で居る時には埋まらなかった部分を埋めてくれているような気がして、同級生達には心の底から感謝している。

 


葬式もみんな来てくれて、泣いてたな。

 

 

 

そんなことばかりあったもんだから

「かずまと俺」のエピソードを思い出す時、常に周りにたくさんの人間が居た気がする。

 


ハイワットホールのメンバー。

バンドマン達。

他にもたくさん。

 


かずまが良い奴で信頼出来るからこそ、俺の友人知人に気兼ねなく紹介出来たし

かずまが自分の友達を俺に紹介してくれたのも、きっと同じ気持ちだったのかなーと思いたい。

 

 

 

人間ってのは誰しも信頼出来る人間が居て

信頼出来る人間が紹介してくれた人間とは仲良くなりやすいもの。

 


そんな輪が広がりに広がって、600人以上の人が参列してくれたんだと思うと

かずまが生きて来た人生も、夢中で守って来たハイワットホールも

かずま本人にとってちゃんと実りあるものだったという証明で

それはそれは最高な生き方だったな。

 

 

 

かずまが残してくれた思い出も人間関係も含めて全てが財産だ。

 

 

 

そんなかずまとの思い出を頭の中の引き出しから取り出そうと考えていたけど

どうにも上手く出て来ない。

 


人間の記憶能力は本当に厄介だ。

 


不出来なクラウドサービスだ全く。

 

 

 

それでも自分の記憶の中にかずまの家族や友人が知らない事柄があれば

ありったけの言葉で伝えたいと思ったので

この先何度も訪れるであろうその機会に向けて、出来る限りを思い出して書いてくことにした。

 


人に見せる文章は書くのが大変だから

テキストは備忘録として、自分の中だけに置いておこうと思ったんだけど

もしかすると見て懐かしんだりしてくれる人も居るかもしれないから

見れるように書くことにしました。

 

 

 

時系列もすっ飛ばして、文章も校正せずに思いついたまま書いてみます。

 

 

 

久しぶりにmixiを開いた。

 


ビバ・文明の恩恵。

 


昔のスマホも引っ張り出してみた。

 


まだ全然整理出来てないけど、呼び起こされるかもしれない記憶に懸けてゆっくり整理してみる。

 


掃除してる時に卒業アルバム開いちゃってその日のうちに終わらないis俺だから

時間かかるかもしれないけど。

 


頑張ってみます。

 

 

 

 


P.S

そういえば前に一度だけかずまに踏み込み過ぎてしまったことを思い出した。

かずまと、かずまが昔好きだった女の子の前で

かずまが秘めてた昔の恋心をカミングアウトしちゃったな。

 


かずまマジで凹んでたからめっちゃゴメンって謝ったけど

 

 

 

 

 

 

本当はさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1ミリも悪いと思ってなかったんだよな、俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゴメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応猫のブログなんで猫の写真を。

 

きなこは今日も元気です。

 

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歌なんて歌うもんか!

気付けばしばらくぶりの投稿。

こんなブログやってたんだな。

 


猫とか飼ってたんだな。

今でも飼ってるけど。

 


2020年もよろしくお願いします。

 


さっそくだけど今日は音楽について書きたい。

 


単刀直入に言うと、2019年は音楽やらずな1年だったな。

 


バンドでのライブは数本やったし、ツアーバンドも来てくれてハイワットホールもそれなりに稼動したけど

イベント企画はさっぱり。

 


正直言ってイベント企画に対するモチベーションが皆無だ。 

 


良いイメージが全く湧かない。

 


ハイワットホールOPENしてからもうすぐ6年。

作り始めから考えると2013年の9月〜。

 


仕事以外の生活の全ては音楽とイベントで出来てたし、毎日音楽とイベントのことしか考えて来なかった。

蔑ろにしたモノもあるし、そこ以外にエネルギーを注ぐ余力も無いくらい全力だったけど

一昨年くらいに色々と思うところがあって

生活の基盤を家に移して、基本的に家に居るような生活になった。

(別に家族が病気とか結婚したとかそんなんじゃない)

 


それからは映画を見たり小説を読んだりゲームにハマったり。

 


それはそれは素敵な時間を過ごした。

 


自分にはこんなにも自由に使える時間があったのかと改めて気付いた。

 

そんな毎日を過ごしているうちに、音楽自体がが自分から遠ざかっていく感じがした。

歌うこともあまりしなくなって、別に良いかと思ったりもした。

 

 


このまま音楽やらなくてもそれなりに楽しく生きていける気もしてた。

 


イベントの無い日々はとてつもなく軽快で心が解き放たれた気分だった。

 


頭悩ませてアイデアを練らなくても良いし

チケット売れずに胃に穴空くような思いもしなくて良い。

利益と人情の狭間で苦しまなくたって良い。

 

 

 

人に期待しなくたって良い。

 

 

 

諦めとか後ろ向きな意味じゃなく、最初から「人に期待しない」って誓いは立ててた。

 


「俺は1人でもやるけど、みんなもやる?」

ってスタンスが最強だと思ってたから。

 


何かやるのにとにかく頭数揃えたがるようなスタイルは違うなーと思ってたし。

 


音楽だって自分が納得するがために、それだけのために作り続けて来たつもりだったけど

 


改めて考えるとずっと人に期待していたし、ずっとガッカリし続けて来たんだな。

 


苦労して何かを形にしたらやっぱり誰かの反応に期待するし求めてしまうのよな。

 


そこは素直に自分の力無さなんだと痛感してる。

 


そもそも自分って人間に求心力がないのは気付いていたし

だからこそ苦しい思いをしたんだけど。

 


自分の好きな世界に他人を上手く誘い込めなかったし

そのスキルが圧倒的に足りないのも気付いていたし

「魅力的なものを提供する」っていうシンプルな原理を信じて今までイベントを企画し続けて来たけど

それも全て「良いイメージ」があってこそ。

 


真っ直ぐな音楽バカで居られたら、もっと良いイメージを持って人を巻き込んで上手いこと出来たのかもしれないけど

ここまで読んで分かる通り俺はそうじゃないんだ。

 


疑り深いし、自分の好きなものであればあるほどそうなる。

 


悪どい宗教にはハマらないタイプだけど、その分盲信的なバカになれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 


それでも歌いたいなーと思ってる。

今こうやって文章書きながら、少しずつだけど思ってる。

 


それは多分、自分が自分たらしめている唯一のモノが音楽だからじゃないか。

 


思考を巡らしたり、自分を半径10km以内の世界から連れ出してくれたのは音楽だ。

自分を客観的に見る力をくれたのも音楽だ。

コミュニケーション能力を与えてくれたのは、お笑いと、本と、多分音楽もか。

 

 

それを捨ててしまった時に自分がどういう人間になっていくのかを想像したら

やっぱり音楽に縋らずにはいられないし、信じずにはいられない。

 


とりあえず歌いたいなー。

 


2020年。

 


今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

うちのきなこも大きくなりました。

 

 

 

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ワクワク☆お正月旅行〜滋賀〜

だいぶ間が開いてしまって記憶が曖昧だけど

我々は滋賀を目指すことに。

 

 

目的地は滋賀の大津にある柴屋町という遊郭跡。

 

柴屋町とは江戸時代から続いた遊郭で、今はもうその影は無いが

戦災を免れた地区なので戦前建築が当時のまま残されているということで

今度はそこを目指すことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋の朝を迎えた我々はひとしきり準備をして滋賀を目指すことに。

 

が、しかし。

 

ドヤ街も見つけられずモロッコ人に約束を破られ相席居酒屋にも入店拒否された我々は

正直心が折れそうだった。

 

元旦から日本のリアルな場所に身を置いて気持ちを引き締めようと思ってはいたけれど

こうも上手く行かないとなんだか普通に観光した方が良いんじゃないかと思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気が付くと我々は名古屋城へと来ていた。

 

かの有名な徳川家康が築城した名古屋城である。

 

大規模な復元工事の最中で残念ながら天守閣に入ることは出来なかったけれど

天気が良くて気分は上々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ひとしきり回った後に名古屋城名物「フレンチドッグ」を食べる。

 

 

のぼりには「元祖」の文字が。

 

フレンチドッグはここが発祥だったのか。

 

隣の焼鳥屋台にも元祖の文字が。

 

すごい。

すごいぞ名古屋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しっかりと観光をした我々は滋賀を目指すことに。

 

 

 

名古屋から1時間ほどで滋賀県へ。

 

 

そこから目的地の大津までは1時間30分程度。

 

 

 

途中、彦根市を通るということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ひこにゃんでお馴染みの彦根城へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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彦根城名古屋城と比べるとこじんまりとした城で

高台にあるのが特徴。

 

お年寄りが登るにはキツい急斜面を1km近く歩かないとたどり着かない難所。

 

SASUKEのそり立つ壁くらいにハードモード。

 

城内の階段もかなり急で

お年寄りでなくてもみんな手すりに掴まって後ろ向きに降りるくらいハードモード。

 

 

SASUKEで言うと山田勝己の髪型くらいワイルドな造り。

 

 

とは言いつつも彦根城は現存してるのが奇跡の城で

明治初期には廃城令を受けて解体される寸前だったところを巡幸でたまたま通りかかった明治天皇によって保存されることになったり

第二次世界大戦では8月15日夜に爆撃される予定だったのが

その日の正午に終戦を迎えて難を逃れたりとまさに奇跡の城なのだ。

 

お陰様で天守閣の他にも築城当時からの建物がいくつも現存していて見応えバッチリ。

 

 

 

 

 

 

 

個人的には彦根城の居心地の良さは格別だった。

 

田舎から来たからだろうか。

 

程よい観光客の数。

 

売店のおっさんの感じ。

 

整備され過ぎず自然が多い環境。

 

 

 

どれを取ってもちょうど良い。

 

 

 

 

 

 

 

こういう写真を撮るのもなんだか修学旅行感があって◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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被り物もよく見たら赤いキャップ使ってるし。

 

 

 

彦根城最高でした。

 

 

 

 

 

 

 

大津まではまだまだ遠い。

 

 

次の記事で書き終えます。

 

 

必ず。

 

 

 

 

 

 

ワクワク☆お正月旅行〜名古屋の夜〜

物語は滋賀へと向かうはずだったんだけど

名古屋の夜のことを書きたいなと思いましたので

順を追って名古屋の夜のことを。

 


備忘録的なもので長くなるのでヒマな方だけ見てください。

 


猫が登場するのはもう少し先なのでご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋の夜は意図せずに駅裏のドヤ街から駅表の華やかな世界へと。

 


1件目でホルモンを食べた我々はタクシーを拾う。

 


初乗り470円。

 


1件目の焼肉屋も1皿平均300円台で、とにかく色々と安い。(もちろん味も○)

 

 

 

我々は最高な街に降り立ったのかもしれない。

 


高鳴る気持ちを胸に名古屋の歓楽街・栄へ向かう。

 

 

 

 

 

 

タクシーに乗り込む際に運転席の後ろにある手すりを掴むと運転席が勢いよくリクライニングしてしまい

倒れ込んできた運転手としっかり目が合ってしまうというハプニングに見舞われつつ夜の街を走る。

 

 

 

 


運転手は米沢さんという物静かでお人好しそうな中年男性。

これはちょうど良いと思いおススメの店を尋ねる。

 

 

 

「いやー分かんないですねー」

 

 

 

 

 

 

 


明日の天気を聞いても

 

 

 

「いやーどうなんでしょう。雨かなー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を聞いても生返事しか返してこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我々は早々に米沢に見切りをつけ自力で楽しい店を探すことを決意する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


しかし名古屋の街は綺麗だ。

 


駅から栄まで歓楽街が連なっている。

 


駅前にはチェーン店と小洒落たバーが立ち並び

そこからグラデーションのように栄に向けて徐々に色っぽいエリアが出現する。

 


住吉町という、今は廃止された昔の呼び名がアーケードに残っていたり

ちょっとした下町風情もこれまた感情を煽る。

 

 

 

栄への道のりを半分ほど進んだところで米沢が突然口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あのぉ…相席居酒屋とかどうですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい米沢。

 

 

 

元旦の名古屋で何が悲しくて相席居酒屋なんか行かなきゃならないんだ。

 


さてはお前、非番の日に行ってるだろ。

 

 

 

確かに相席居酒屋も楽しいけど、そういうのじゃないということを拳で伝えているうちに栄へ到着。

 


とりあえず情報収集が先決だと思いパブへ行く。

 


オープンスペースな外国風パブは人で溢れかえっていた。

 

 

 

ようやく席に座れたところで隣の外人と話す機会が。

 

 

 

名前はカイリ。

 


それとそのツレ(名前忘れた)

 


10年以上日本に居るらしく奥さんも日本人で、流暢な日本語を話すのがとても印象的だった。

そしてかなりの色男。

 

 

 

 


しばらく身の上話に華が咲いたところでカイリに出身はどこか尋ねると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「シンゴ、オレどこの国出身に見える?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カイリ、そういうのやめてくれ。

 


ここは合コンじゃないんだ。

 

 

 

 

 

 

 


多分中近東だとは思ったけど、その辺の国当てはホントにヒヤヒヤする。

 


日本とは情勢ってもんがまるっきり違うから間違って言ってはいけない、まさに地雷のような国もあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 


答えを濁しつつ粘りに粘ったところでモロッコ出身🇲🇦で、名古屋でタジン鍋屋を営んでるというところまで明らかに。

 

 

 

 


次にオススメの店を紹介してもらい、カイリ達とも後ほどそこで合流する約束をして我々は一足先に店を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にしても色男ってのは素敵だ。

 


男でも女でも優しく色っぽく話しかけてくれるのがホントの色男だし信用出来る人間ってもんだ。

 

 

 

 

 

 

そんなことを思いつつ我々はカイリオススメの店へ。

 

 

 

 

 

 

 


扉を開けてびっくり。

 


クラブかよ!!

 


踊る方の!!

 

 

 

 


しかもいわゆるチャラ箱タイプのクラブ。

 


しかしエントランスまで来てやっぱり帰りますってのも恥ずかしいのでとりあえず入店。

 

 

 

 


案の定フロアはキッズパーティー

テキーラの神に取り憑かれた若い子たちが流行りのEDMに合わせて神への献上の舞を踊り狂っていた。

 

 

 

ところがクラブはじめましての友達がテキーラタイムに合わせてフロアの最前線へ。

 

 

 

遠くで見守るオレ。

 

 

 

いや、楽しいならそれで良いんだけど。

 

 

 

いつまで経っても来ないカイリに怒りを覚えつつ早々にクラブを出て次の店を探す。

 


やっぱり信用できない男だぜカイリ。

 

 

 

 

 

 

 


街をぶらつくも元旦だからか閉まっている店が多い。

 


そのうちに米沢の言ってた相席居酒屋に辿り着く。

 

 

 

もうここで良いかと思いキャッチの兄さんに聞くとかなり混んでる様子。

 

 

 

 


「ただいま女性1組の男性6組でかなり待ちます。」

 

 

 

 

 

 

すごい倍率だな。

 


国家試験か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁここで粘るのも違うなーと思いつつ行く当てを無くした我々はちなみにどれぐらい待つのか聞いてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「かなり待ちます。しかも女性1組がかろうじて日本語喋れる感じで…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また外人かよ!!

 


よくやってるな6組の男たちも。

 

 

 

国当てクイズやってるんだろどうせ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


冷静さを欠いた我々は前の日にボヘミアンラプソディーを見たことを伝え

男同士でも良いから相席したいとお願いするももちろん断られ

結局また路頭に迷うことになる。

 

 

 

 


まだ日付けを交わしたばかりだったが、この辺が潮時だと思いコンビニでビールを買ってホテルに戻る。

 


途中で見つけた神社でお参りをしてホテル近くの川沿いを歩く。

 

 

 

なんと桜が咲いていた。

 

 

 

 

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四季ざくらという桜で、春と冬に2回花をつけるらしい。

 


周りを見ても咲いてるのは数本で、元旦から景気良く咲いてる桜の下で花見をすることに。

 

 

 

ちょっと寒かったけど、たまにはこんな夜も良いな。

 

 

特別なことなんか無くたって楽しくやれるのが友達の良いところだなーとしみじみ。

 

 

 

 

桜の下で昔話に花を咲かせながら冷静さを取り戻した我々はホテルへ帰った。

 

 

 

 

 

 

翌日、我々は滋賀へ向かう。

 

 

 

続く。

 

 

 

ワクワク☆お正月旅行〜名古屋編〜

晦日から正月三ヶ日にかけて旅に出て来ました。

 


横浜に住む高校時代からの親友と久しぶりの2人旅。

 


今回は「ドヤ街」を目指して旅をすることに。

 


「ドヤ街」というのは平たく言うとこの国で一番リアルな場所で

大阪の西成・別名あいりん地区という場所が有名。

 


日雇い労働者や訳ありな人間が多く住む街で

稼いだ金は酒と競馬・競艇に溶かしてしまう。

噂によると住人たちの見た目はソレそのもので歯が無い人間がたくさん居ると聞く。

 

いわゆる「その日暮らし」な人間が多く集まる街らしい。

 

 

 

市橋達也被告もこの「あいりん地区」に身を隠していたとか。

 

 

 

ということで我々は手始めに名古屋にある歯無しタウン「笹島」を目指すことにした。

 

 

途中の富士山が綺麗でした🗻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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元旦の東名高速はびっくりするほど空いていて4時間ほどで到着。

 

 

 

名古屋駅の「正面」は綺麗に整備されていて銀行・オフィスやオシャレな飲食店が立ち並ぶ。

 

そこから少し離れると名古屋最大の歓楽街「栄」に入る。

 


元旦だというのに街のネオンは煌々としていて

人もかなり歩いていて正月とは思えない賑わい。

 


そんな華やかな駅の「裏側」にあるのが名古屋のドヤ街「笹島」である。

 


華やかな光の裏に陰のある街。

表と裏。

表裏一体は世の常か。

 

 

 

 


情報を頼りに我々は歯無しタウンへと向かう。

 


車でしばらく走るとそれらしきところを発見。

 


ただ想像とは違っていてかなり綺麗に。

 


近くのホルモン屋に居た歯のあるタイプの地元民に歯無しの話を聞くと

どうやらドヤ街はすっかりなくなってしまったらしい。

 


確かに駅裏もかなり拓けていて、チェーンの居酒屋もいくつかあって普通に田舎の歓楽街の様相。

 


悲しいかな、こういうドープな場所にも手が入り整備されてしまう時代なのだ。

 

 

 

ドヤ街には必ずある「木賃宿

1泊1000円~2000円程度で訳ありな人間や身元がちゃんとしていない人間でも泊まれる簡易宿泊所(現在のシステムは分かりません)

 

そこもすっかり見た目も小綺麗なビジネスホテルになってしまって(料金は相変わらず激安)

今回はそこに泊まる予定だったんだけど、綺麗になってしまったんじゃ、んー。

(元々友達に猛反対されてたし)

 

 

結局駅表の普通のビジネスホテルに泊まることに。


街が拓けることはとても良いことだけど

そこに居る人間が全員まともな生活を出来るようにならなければただ臭い物に蓋をするだけではないだろうか。

そういう開発は日本のアチラコチラでよく聞くようになったし、やはりそーいう時代なのか。

 


もちろんドヤ街住民の多くが生活保護者ということを考えると行政が救いの手を出していることは間違いないけれど。

 

ただリアルに考えるといくら金と仕事を提供したって

まともな生活を送れない性根の人間も多く居るのだ。


それは日本全国どこにでも居て

そういう人間がドヤに流れ着いているという側面がある。

 

そういう人間の受け皿問題がこの国の一番リアルな課題なのかもしれない。

 

 

 

 

 


とにもかくにも名古屋は見るも綺麗なニュータウンになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そして我々は滋賀を目指す。

 


果たして滋賀に「歯無しタウン」はあるのだろうか。

 

 

 

 


続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドヤ付近にある公園の公衆トイレ。

 

その辺の公衆トイレよりも綺麗に掃除されていた。

 

社名が気になる。

 

もしかするとドヤ街の住人達の受け皿会社なのか。

 

 

 

 

 

ネットで調べた木賃宿

 

今は外観は綺麗になっていたけど中身はどうなんだろう。

 

 

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参考文献・写真提供

「日本ボロ宿紀行」

http://boroyado.doorblog.jp

 

 

 

 

 

猫は走らなぬ師走

ご無沙汰してます。

 

師走はなんだか忙しい。

 

実際忙しいのも半分だけど気忙しさも半分。

 

というわけできなこにもあまり構ってあげることも出来ず最低限の世話だけを。

 

お尻だけはキッチリ拭く毎日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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耳舐めんな!

 

風俗か!!

 

 

 

 

こんなサービスどこで覚えたのか。

 

日々成長しています。

 

 

 

黒い陰謀、白い雪、茶色いネコ

都市伝説マニアなら知らない人は居ない話ですが。

 

皆さん滝廉太郎という人間をご存知だろうか?

 

名前だけは知っているという人も多いと思いますが

滝廉太郎は1900年代初頭に日本で活躍した作曲家。

 

代表曲は「荒城の月」など。

 

その他にも童謡

「鳩ぽっぽ」

「雪やこんこん」

などを世に残しています。

 

 

 

タイトルを聞いただけで歌詞とメロディーが浮かぶくらい有名な童謡です。

 

 

 

 

 

それでは実際に聞いてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滝廉太郎/「鳩ぽっぽ」

https://youtu.be/hlZdpLe6YtQ

 

 

滝廉太郎/「雪やこんこん」

https://youtu.be/zGB0JRY2oWI

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうでしょう?

 

思い浮かべていた曲と微妙に違いませんか?

 

 

皆さんに耳馴染みの深い鳩ぽっぽ雪やこんこんはコチラの曲じゃありませんか?

 

 

 

 

https://youtu.be/cgZieMz_aaU

 

 

https://youtu.be/Mdid_SOHVj4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこの2曲のタイトルは「鳩」と「雪」なんです。

 

どちらも文部省唱歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも別の曲にしては似過ぎてると思いませんか?

 

あの天才・滝廉太郎が盗作をしたのか?

と思ってしまいそうですが実は

滝廉太郎が作った「鳩ぽっぽ」と「雪やこんこん」は1901年発表。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対して文部省唱歌である「鳩」と「雪」は1911年発表。

 

そう。

文部省の方が10年も後に発表しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

となればやっぱり滝廉太郎が原曲の作曲者なのか。

 

と思うでしょう。

 

ところがどっこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鳩」と「雪」の作者は共に「不明」なんです。

 

 

 

何故!?

こんなに似てるのに!?

滝廉太郎が先に世に出しているのに!

 

この4曲は全て「別の曲」として扱われているんです。

 

 

 

 

これには様々な説がありますが

ひとつの説として

 

当時、国が作る童謡は軍国主義的な要素を含む堅苦しい内容のものが多く

そんな中、滝廉太郎が作るポップな曲が子供たちを中心に流行ったことを受け

国が盗作をしたのではないかという説。

 

いわゆる「陰謀説」

 

ただこれを立証することは難しい。

 

何故なら滝廉太郎結核により没したのは1903年

 

文部省が発表する8年も前のことで、しかも「結核菌がついているかもしれない」という

今では信じられない理由で滝廉太郎の楽譜は焼かれてしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ国の陰謀はこれでは終わらない。

更に信じられない内容が「雪」の歌詞に隠されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
降っては降っては ずんずん積る。
山も野原も 綿帽子(わたぼうし)かぶり、
枯木(かれき)残らず 花が咲く。

雪やこんこ 霰やこんこ。
降っても降っても まだ降りやまぬ。
犬は喜び 庭駈(か)けまわり、
猫は火燵(こたつ)で丸くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お分かりいただけただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

 

猫がコタツの中に居るんです……

 

恐ろしい………

 

 

掃除機はもちろん洗濯機もコロコロテープも無い時代に

猫をコタツに入れているんです!

 

 

これは猫アレルギーの人間を○すための陰謀に間違いない!!!

 

 

 

 

イカれてんのか当時の文部省は!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たしてこれは国の陰謀なのか。

 

はたまた単なる偶然なのか。

 

滝廉太郎が猫アレルギーだったかどうか。

 

 

それを知るすべは今はもうありません。

 

 

 

信じるか信じないかはあなた次第です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪ときなこのベストショット。

 

 

 

 

 

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