猫なんて飼うもんか!

猫アレルギー

いよいよ

地元の新聞に迷い猫の記事を出してから1週間。

 

やはり音沙汰はなし。

 

 

飼い主がフリーメイソンである可能性も考慮して(過去の記事を参照)

11月21日付けの新聞に載せてもらったんだけど

1+1+2+1は5なんだよね。

 

でもそれにどっかから持って来た1を足すとほら!

 

6なんだよね!

 

後はどっかから6を2つ借りて来て足すと!

 

そう!

 

6・6・6!

 

悪魔の数字!

 

フリーメイソンなんだよね!

 

 

でも飼い主は名乗り出ないんだよね!

 

何故なら!そう!

 

秘密結社だからなんだよね!

 

 

 

とかそういうの良いからいい加減現れろよ飼い主。

そもそも居たのか飼い主。

 

 

半ば諦めつつも有り難いことに里親の申し出は続く。

 

ただ複雑な心境ではある。

 

それは飼い主の元に戻ってもらいたいとかじゃなく

なんとなく自分の中に「飼いたい」という気持ちが芽生えてることに気付いたからだ。

 

 

確かに飼えない理由ならいくらでも見つかる。

 

でも「飼い主の元が幸せ」とか

「可愛がってくれる人の元へ」とか

そんなどこかで聞いたような理由じゃない。

 

とにかく飼いたいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人になると物事を選択する時。

 

「したいかどうか」じゃなく「出来るかどうか」で考えてしまうけど

いくつになっても「ホントは自分がどうしたいか」が一番大事で

もっと言うとその「したい」という強い意志が「出来る自分」に繋がっていくんだって思う。

 

 

SNSを見てると飼育の仕方や殺処分に対する考え方をたくさん目にすることがある。

 

飼育は大変だと。

お金もかかるし時間もかかると。

 

そんな情報を前に、やっぱり飼おうと決めるにはハードルが高過ぎる。

 

生涯飼育やキチンとした飼育は

確かに熟考しなければならない命題ではあるけれど

それと同時に「出来ない自分」という事実を過剰に意識してしまうことにもなる。

 

 

 

 

その昔、小学生の時に野良犬を拾って飼ったことがあって

結局老衰で天に召されるまで18年間世話をしたんだけど

俺も大きくなるに連れて散歩もロクにしなくなったし

今でも良い飼い方をしてたとは思えないけど、それでも最後まで飼うことは出来た。

 

それじゃダメですかね?

 

100点満点じゃなきゃダメっすか?

 

飼いたいから飼う。

 

それぐらいシンプルな話じゃダメっすかね。

 

 

 

 

 

 

 

という話を

「新築一戸建てに3人の家族と3匹の猫を住まわす益荒男・Kai Honda」

に相談したら割と気楽に猫ライフを送ってるらしく

あぁ、じゃあ俺も気楽で良いかなーと思えた。

 

 

 

 

 

 

どうせ一瞬だけすれ違うはずの命だったんだ。

何点の飼育が出来るか分からないけどやれるだけやってみるよ。

 

気楽に。

 

運命のその先を見てみようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は、運命を避けようとしてとった道で、

しばしば運命にであう。

 

- ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前は「きなこ」になりました。

 

 

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